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【No.22 平成18年6月】

ヒューマニュール・トイレ発進!
「2005トヨタ環境保全プログラム」によって支援された日本アイアイ・ファンドの
「マダガスカルの自然保護区周辺の村でのトイレ・プロジェクト」が始まった

日本アイアイ・ファンド代表
島 泰三

■気候大変動のさ中に
空から滝が降る
マダガスカル北西部の雨季の雲。空から滝が降る
 1月20日、ナイロビからマダガスカルまで駆けつけてくれたカメラマンの井上清次さんは、今年は雨季のはずなのに東アフリカ全体で雨が降らないと言った。
「ケニヤは大旱魃で、たいへん深刻なことになっています」
 マダガスカルでも雨季はふつうは12月から始まるはずなのに、1月が過ぎようという時になっても雨はほとんどない。西部乾燥地帯はことさらであると、マダガスカルアイアイ・ファンドのロランは言った。
「アンツイヒからのタクシー・ブルースが、アンタナナリヴまで来ていますから」国道6号線は通ることができる。つまり、雨はまだ来ていないと。雨が降れば、この国道は一種の悪夢であり、ベンツの大型トラックが3台ものコンボイを組んで、何日もかけて互いに引き合いながら行かなくてはならない。それをミニバスのタクシー・ブルースが通れるということは、雨がないということである。
 この気候は、西部にあるアンジアマンギラーナ監視森林まで行くのには、好都合である。1月23日、マダガスカルアイアイ・ファンドのメンバー3人と井上さんと私の5人は、ランドクルーザーにテント用資材を積みこんで出発した。荷台には森林監視員に渡す自転車も積んでいる。
 首都アンタナナリヴから西部海岸都市マジュンガへの国道4号線はハイウェイである。この道路の途中からマダガスカル北端の港アンチラナナへの国道6号線は、アンブンドルマミから分岐する。かつてはここから悪路が始まり、私はこの小さな町の名前を聞くたびに、一種の緊張とあきらめに似た気分に襲われる。ここからアンジアマンギラーナまでは245キロの道のりだが、途中ポール・ベルジェまでの166キロが悪夢のような道なのである。それは、マダガスカルの薮の中の、乾燥しきった、しかし、沼と川でたびたびさえぎられる悪路を経験したことのない人には、言っても無駄であろう。
 しかし、国道整備が始まり、このマダガスカル最大の悪路にも新しい道路が整備されはじめていた。分岐点から84キロ先の平原の町マンピクニまでは、井上さんが「21世紀のマダガスカル」と呼んだほどの2車線、側溝つきのアスファルト道路がなだらかに、軽やかに続き、かつての薮道も迂回路も夢の彼方だった。私は「これはひどい」と何度も叫んだ。「ひどい」とは、かつての苦労が片鱗も想像できないほどの変わりようだったからである。「金はこれほど世界を変えるものなのか」と思い知らされた。
 この町からつづく24キロは道路工事中で、それでも軽々と走れた。だが、ポールベルジェまでの残り58キロに悪路が口を開けて待っていた。
「午後4時9分、マンピクニで給油」、「午後5時9分、倒れたトラック1台、壊れたトラック1台」、「午前1時56分、ポールベルジェ」。58キロの道のりに9時間半かかった。
 道路はトラック、ミニバス、軽トラック、四輪駆動車さらには乗用車までのあらゆる車の墓場と化していた。窓近くまで泥に埋まった白い四駆は、私たちを追い越して行ったはずの車だった。
 それまでまったく雨がなかったマダガスカル西部地方に、20日から雨が降り始めたのだと、あとで知った。情報はマダガスカルではいつも遅れる。まだ晴天が続いていると思った運転手たちはこの道に挑戦し、そして破れたのだった。だが、わが特殊装備のランクルだけは、メカニカル・ウィンチを5回使うという一日使用回数の記録を打ち立て、ついにこの悪夢の泥濘から抜け出した。
 午前4時20分、アンジアマンギラーナ調査基地にたどり着くと、ロランは運転席でそのまま眠りこんだ。すでに、夜は明け始めていた。
 午前中に雨が降りはじめ、風がふきつけ雷雨になる。うたた寝から覚めて、朝ご飯を村に買いに行ってもどってきたロランは言う。
「真夜中にあそこで休憩していたら、今頃泥沼になったでしょう」
 テントから起き出してきた井上さんが言う。
「思い出がまた増えましたね」
 堪忍してくれ。私ももう歳である。古いアルバムの中に貼りつけられたたくさんの思い出を糧に余生を生きるべき年齢である。これまでよりもたいへんな思い出を作るのは、もうこれくらいにしたい。だが…。

■公共トイレの建設要請
トイレの様子を主婦にきく
保護区北端の村、アンケリカで支給したトイレの
様子をその家の主婦に聞いているマダガスカル
アイアイ・ファンドのクローディーヌ(右)
 そのプロジェクトへの導入部分があまりに苛烈だったので、私の頭も混乱している。そもそもは、このアンジアマンギラーナ村の婦人会からの要望が発端だった。
 2002年7月、マダガスカル政府から正式に管理権限を委譲されたマダガスカルアイアイ・ファンドは、アンジアマンギラーナ監視森林の管理を始め、ただちに周辺三村、アンジアマンギラーナ、アナイジャヌ、アンケリカとの協議に入った。森林監視員(保全エージェンシー)、看板、境界標識建設、防火帯の設置作業など、森林の周辺村との協議事項はたくさんあった。その協議の中で、2年にわたって要請されたのが、公共トイレの建設だった。
 マダガスカルにはトイレの文化伝統がない。首都でさえ、トイレはあったとしても小屋がけだけで、下に穴か池があるだけである。いくら現地婦人会の要望とはいえ、この社会に公共トイレは不可能ではないか?
 だが、マダガスカルによくある言ってみただけという通常の要請とちがって、いったん却下してもアンジアマンギラーナ婦人会はしつこく要望を重ね、とうとう文書にして申し入れてきた。これほど強く要望するには、理由もあるはずである。取り次ぎのマダガスカルアイアイ・ファンドのメンバーの説明は、「衛生のため」と例によってよく分からない。
 しかし、マダガスカルでも日本と同じく主婦の意向に逆らうものは、バカ者である。やむを得ない。なんらかの手を打たなくてはならない。
 その矢先、「2005トヨタ環境助成プログラム」がプロジェクトを公募しているという情報を得た。成果のほどは確証できないが、とにかくアンジアマンギラーナ監視森林の保全にとっては、村のトイレへの協力は必要である。そのあたりを詳しく説明して、プロジェクト計画を提出した。トイレがどうなるか、その成果は確証できないので、次善の成果としてこのプロジェクト全体を映像記録し、映像による環境教育教材を作成することにした。
 日本人が発案して、日本とマダガスカルだけで運営しているマダガスカルでの自然保護地域はここ、アンジアマンギラーナ監視森林だけである。そのあたりも評価されたのかもしれない。あるいは、交通宿泊費だけで、日本人側の人件費は一切見ないという日本アイアイ・ファンドのボランティア精神が評価されたのかもしれない。ともかく、「2005年トヨタ環境保全助成プログラム」にこのプロジェクトの採択が決まり、提出した計画に従って、12月からの活動が始まった。
 2005年はマダガスカルアイアイ・ファンドにとっては厳しい年で、実にいろいろな問題が山積して、現地との関係が険悪になり、管理権返上という問題さえちらついていた。名誉会長としては、トヨタ財団の環境保全助成プログラムの支援を受けたことを、マダガスカル側に納得させる必要があった。
 そのために、1月が最悪の季節とは分かっていても、現地に入るという決意をしなくてはならなかった。もっとも、ナイロビにいる井上さんはマダガスカルに近いという利点があった。
 マダガスカルに着いてすぐに日本大使館に挨拶に伺った。吉原大使が会ってくださるということになった。私は今回、この雨の厳しい季節にマダガスカルを訪問した理由を説明した。大使の目が少し輝いたような気がした。
「こんなものがあるのをご存じですか?」

■ヒューマニュールの思想
 吉原大使が示した文書は、『The Humanure Handbook』 (http://www.jenkinspublishing.com)というものだった。Humanureは小学館の『ランダムハウスの英和辞典』にもない。しかし、研究社の『新英和辞典』には人糞の訳としてhuman fecesがあるほか、人糞肥料としてhuman manure, night soil(for manure)がある。辞書とはたいしたものである。つまり、この「ヒューマヌーニュール」なる造語は、ヒューマン マヌーニュルの短縮形であり、「人糞の堆肥」、かつてわが国では「金肥」と呼ばれて、農家が肥料として町家から買っていたものである。
「これはインターネットでいくらでも本文を引っ張ってくることができます。トイレについて、私もいろいろ考えていたのですが、それはご存じでしょう」
 トイレ問題はここ2年ほどの私たちの話題のひとつだった。小学校建設には必ずトイレ建設がつく。しかし、それがいっぱいになった時にはどうするのか、という思想がない、というのが吉原大使の不満だった。私はこの問題について、やや聞き流してきたと言う不明を恥じなければならない。
「実は、息子が岡山で自然農法をやっていましてね。そこでこのヒューマニュール・トイレを実践しているのですよ。用便のあとに大鋸屑(おがくず)を表面に撒くだけで、部屋の中に置いていてもほんとうに匂いもしないのです」
 どんな構造のトイレでしょうか?と私は尋ねた。
「ここに図面がありますが、本体はただのバケツです。それに座れるように台を作って、用便のあとは大鋸屑(おがくず)を撒いて、少し溜まったら外の堆肥を作る場所に捨てに行って、その上を大鋸屑や木の葉などを撒いて表面を覆うというだけのことです」
 私の心に響くものがあった。それなら使ったことがある!バケツである。
 マダガスカルの旅で女性が一番困るのは、トイレである。どこも汚い。そして、荒野の中にはトイレはない。キャンプではもっと困る。夜中に起きるとマラリア蚊を気にしながら用を足すことになる。わが妻は、ついに解決法を考えついた。
 バケツである。幸いわが家には各種のバケツがあった。その中で上に坐っても大丈夫なほど頑丈で、しっかり蓋ができるバケツを選んだ。その中に丈夫なビニール袋を置く。バケツの蓋部分にお尻にあたっても痛くないように布をたばねたクッションをつける。これでできあがりである。車内で用を足してもビニール袋を締めて、さらに蓋をしてしまえば、匂いが洩れることもない。第一、夜中に車のドアを開けて、蚊や虫が入る恐れがない。刺される恐れもない。夫婦である。用便はお互い様だ。
 私は吉原大使に、これは一種の革命ではないか、と思いますと言った。
「そうでしょう。私はこれを推進するNGOがないかと待っていました。たとえばですね。老人介護の問題ありますね。このトイレなら、寝台のそばに置いておけるので、よく動けない老人にとっては助かるのではないか、とさえ思っているのです。一日か二日に一回、介護の人が捨てに行ってくれればいいわけですかね」
 いや、それ以上ではないだろうか、と私は思う。たとえば、あの西長門の海岸である。詩人が「もらって行こう、綱つけて」と歌うほどの愛らしい小島と白砂の海岸がそこにある。私はそこで最後を迎えたいと思う。しかし、その時に、自分の下の物が「行く末も知らず、ただ流れぬるかな」では困る。あの海岸とあの海は、汚したくない宝物である。  このヒューマニュール・トイレでは自分の排泄物を自分で処理し、それが微生物の作用を受けて、植物に取りこめる栄養に変わる。それは、自分という一個の人間の自然界の中での存在意味に関係する。
 下水と呼ばれる暗黒のなかで、「どこかでは処理されているんだろう」というのではなくて、自分でその行く末を成長する植物の中に見ることができるというのは、個人の世界観に影響する重大事である。
 やりましょう。しかし、ここはマダガスカルである。たったひとつの望みは、これまでいかなるトイレも社会に根付いていないという白紙の世界だということがある。何が起こるか?とにかく、やってみよう。
 こうして、悪路の道を突き抜けることになった。

■ヒューマニュール・トイレ作戦
トイレ製作中
アンジアマンギラーナでトイレ製作中。
森林監視員のクラニとMAFのロラン。
撮影しているのは井上カメラマン
 雨季のアンジアマンギラーナ村は、まるで日本の梅雨のように、霞たち、緑に包まれていた。とうてい、乾燥期の赤茶けた風景ではない。
「そう言われてもですねえ、この緑豊かな、湿度たっぷりの印象を変えるためには、乾燥季にもう一度くる以外にありませんねえ」と井上さんが言うほどの風景である。ワイパーが必要なほどの霞がたちこめるのだから、乾燥地帯と言えるずがない。調査基地のまわりの木々は緑の重なりをたかだかと盛り上げ、マナサムディ山地が見えないほどで、私は見通しをつけるために、その木の一部を切ったほどである。それほど茂る。しかし、逆に言えば、火さえつけさせなければ、森は十年で回復できるということでもある。期待は膨らむ。
 夜半、隣りの丘の中学校校長夫妻が尋ねてきて、中学校としてやる植林計画に協力してほしいという。もちろん、「ダコー(賛成)」である。
 翌日、婦人会が集合した。わが調査基地内ヤシの間である。最初に、なぜトイレが必要なのかを確認した。婦人会会長は顔に黄色の粉を塗りつけ(マスンズアニmason-joany)、一身をもってヒョウ柄を示している勇猛な方で、一言で問題を片づけた。
「コレラである」
 20世紀末から今世紀初頭にかけ、たしかにマダガスカルではコレラが大流行した。この地方はその猖獗地であると恐れられた。しかし、その最中に私がここを訪れたとき、村長は「コレラ?聞いたこともありませんな。それはアンツイヒかどこか、町中のことではないですか?」とはっきり言ったのである。それはウソだったのか。さらに詳しく聞くと、当時死者こそ少なかったが、十人以上の病人が出て、そうとうな恐慌をきたしたのだそうである。事はちゃちな衛生問題などではない。
 そこで、マダガスカルアイアイ・ファンドのクローディーヌ女史が「バイオ・トイレ」という名前を使って、ヒューマニュール・トイレの説明を始めた。「公共のトイレではなく、ファミリートイレである」という説明に皆の顔がほころんだのを、私はしっかり見た。公共トイレは不可能である。誰も、その掃除などしようとはしないだろう。しかし、今回は家族しか使わないバケツである。そこに溜まったまま溢れるに任せるということは、いかなる人間もできないだろう。捨てに行く場所を作るだろう。それに大鋸屑をまぜ、木の葉、稲藁で覆えばいい。
 ほとんど全員が、そのバケツをくれ、という賛同の嵐で、めでたく閉会となった。
 マダガスカルアイアイ・ファンドとしては、この村(保護区南端)とアンケリカの村(保護区北端)で、それぞれ5戸を試験的に始め、おいおい全戸に拡張するという方針を立て、それでもバケツを持っていくだけになるかも知れないからと、森林監視員のクラニさんの自宅にモデル・トイレを設置することにした。
 彼の家は調査基地にごく近い。丘を降りて、中学校の脇を通り、いちど川を越えて、川沿いに歩き、もう一度川をこちら側に越えると、マンゴーの林に包まれた屋敷に着く。彼は自分の敷地全部を木の柵で囲み、中に林もあれば、畑もある、ウシの囲い場もあるという一種別天地に住んでいる。その趣味は木工であり、坐るように提供されたベンチは実に手が込んでいる。
 この真面目一方の男は、実に八人の子持ちで、最後の子は一歳半であり、次の子は二歳半である。ロランは忠告者の本領を発揮して、クラニにこれ以上子供を作らないように薦めているのだという。
 ともあれ、この家をヒューマニュール・トイレのパイロットファームとした。彼の言では、すでにウシのフンを使ってトウモロコシを作ろうしたが、そこから虫が出て、トウモロコシの芽を食うが、このトイレによる堆肥では心配ないか、と質問してきた。それは、農業指導の領域である。私に聞かれても困る。早急に農業指導の専門家を派遣しなくてはならないだろう。トイレ問題は、この敷地の広い世界ではかんたんに解決し、その堆肥の利用方法に一気に進み始めた。

■ふたつの村で
トイレの使い方
アンジアマンギラーナのトイレの使い方。
子どもは上に乗って
 アンジアマンギラーナ村でのヒューマニュール・トイレ配布が終わったので、アンケリカ村に行った。ここはアンツイヒというこの地方の中心地により近く、前村長夫人は小学校教諭もしている知識人で、今回のトイレについてもこちらが頼りにした。アンケリカ村での説明会は、アンジアマンギラーナ村以上に盛会で、男たちや子供たちも集まり、すぐに賛成してバケツと椅子のワンセットをそれぞれの家に持って帰った。
 そうは言っても、バケツと板や角材である。何かほかの用途に使って、トイレはもとのままということではないか、と一抹の不安はある。
 三日後、私たちは前村長宅をたずね、夫人の紹介で現在使っている家を訪れた。一人暮らしの太った老婦人は、「使っているけど、捨てる場所がまだしっかり決まってなくて」と言い訳する。それでは、もう一軒捨てる場所もはっきりしている家を訪ねた。奥さんと子供二人の家族で、すでに使っているとのこと。堆肥場所へ案内してもらった。
 意外に遠い。家の裏手から斜面を少し下がる。トウモロコシ畑である。その一画に堆肥場所があった。たぶん、もともとそこをトイレにしていたのだろうと思われた。トウモロコシ畑のそばのマンゴーの木のわきにかなり深い穴を掘って、そこに捨てているのだという。
「どうですか?」という質問に、「とてもいい」と答えたのは、外交辞令かどうかしらないが、「子供たちが喜んで使っている」というのは、ほんとうだろう。乾燥している時ならいいが、滑る坂道を下って、またトウモロコシ畑まで登って、傍らの穴に用を足すのは、雨の中ではそうとう大変なことである。今回のトイレでは、バケツに用を足し、都合がいいときに運ぶだけである。それだけでも福音だろう。
 帰り道、最初の太った老女と会った。にこにこしている。はっと気がつく。あの太った老女が、すべる穴の脇でふんばるのはそうとう苦痛だったはずだ。それがしっかりした台に坐って、雨風がしのげるところで望む時間に用が足せるのは、それだけでこれまで味わったことのない幸せではないだろうか?
 ああ、よかったかもしれない。トイレそのものとしては、すでにして大成功ではないか?
 ロランによれば、「アンケリカは進んでいるので、すでに前村長宅を初めとして、きちんとトイレを持っている家があるので、これからも期待できます」とのこと。用便に大鋸屑を撒いて、貯め場所でまた木の葉などを被せるだけで堆肥になるのだから、トイレについての意識はまったく変わるはずである。あるいは、これはそうとうなことになるかもしれない。
 配られたトイレ・セットを一家で分けて持って帰る風景と、太った老夫人の笑顔が、このヒューマニュール・トイレの意味を物語っている。いろいろな意味で、これはすばらしいものなのである。

■帰り道
 熱帯の雨季の雨の凄さは、ちょっと言いようがない。叩きつけ、殴りつけ、洗い流すように降る。かくて国道六号線の六十キロは、どの車にも通れるところではなくなった。ロランをヒューマニュール・トイレの指導と保護区の管理活動継続のために現地に車といっしょに残し、私たちは飛行機で帰ることにした。
 例によって遅れる飛行機を待って、空港で半日暮らしている間に、積乱雲は立ち上がり、かなたの地平線に雨のスクリーンを張っている。今年の雨季は遅れただけなのか、あるいは世界気候変動の一環で、ほんとうに雨が少ないのか?今年の雨季は遅れただけでなく、真夏なのに気温は最高三十二度で、とうていふつうの夏の四十度近い暑さはない。ロランにも二ヵ月分の食費を渡したけれど、二週間で帰ってきた。

■熱帯ロハス
島泰三と井上清司
監視森林中央部の丘の上に立つ島泰三と井上清司
 今年のマダガスカル乾燥地帯の稲作は絶望的である。大飢饉を予想してあることに思い至った。乾燥地帯での稲作は無理な農業ではないか?無理な農業開発をやって、飢饉になれば先進国から食糧援助というパターンではなく、この現地社会を安定させる農業の方策が必要なのではないか?と。
「熱帯ロハス」というイメージが浮かんだ。バナナ、サツマイモ、サトイモを植える。バナナの葉の影に木を植える。まずは果樹。マンゴー、ココヤシ、パパイア、カシューナッツ、チェリモア、アボガド、タマリンド、オレンジ、ライム、シトロン、レモンそれからコショウ、コーヒー、カカオ。次にマダガスカル特産の樹木。ラミー(アイアイの主食)、パリサンダー(紫檀の仲間、高級材木となる)、バオバブ(果肉にカルシウムを含む)、キニーネを取るキナの木などの薬用植物。
 うまいけれども土地の養分を消費するトウモロコシのためには、ヒューマニュール・トイレからの堆肥がある。水が利用できる土地にはイネもできる。それら全体を守るのが、飲み水や灌漑用水の水源林、アイアイのすむ「アンジアマンギラーナ監視森林」である。
 こうして、遠い未来の世代へ、人間が自然の中で生きることを問いかけるプロジェクトが始まった。今私には、この森を現地で守る日本人が私ただ一人ということではなくなるだろう、という予感がある。アンジアマンギラーナ川のただ中で、完全に埋まってしまった車を2時間かがりで掘り出して、抜け出したとき、ふたたび「いい思い出ができました」と言う井上さんがいる。しかし、私としては何度でも言うが、もう思い出を作るのはいいから、思い出に生きるただのジジイになりたいのである。



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