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【No.42 平成30年1月】

「グレーターインドとマダガスカルの年代と位置」

2017年12月19日
日本アイアイ・ファンド代表
島 泰三

 昨年発表した霊長類マダガスカル起源説ですが、ホットスポットの位置から88Ma(8800万年前)と65Ma(6500万年前)のグレーター(大)インドとマダガスカルの位置関係を探ってみました。
 NHKの「グレイトネイチャー」で11月に放映されたものに、インド洋の火山列島についてその成り立ちと風化と消滅の歴史を描いたものがありました。ホットスポットはマントルのマグマが地殻をやぶって噴出する地点で、その位置は数千万年の間変わりません。
 マダガスカル近傍のホットスポットは現在南緯21度のレユニヨンにあって噴火が続いており、その噴出でモーリシャス、セーシェル、モルジブなどが生まれているのですが、モルジブはもっとも古いレユニオンの位置の火山でできた群島なので、風化して海に沈没しはじめ、ついに環礁となったというのがNHKの筋書きでした。
 しかし、NHKのこの番組はインドとマダガスカルにあるもっと大きく、もっと古い火山について描いていません。
インドのデカン高原は6500万年前に巨大噴火の記録があります(Chatterjee et al., 2013)が、それよりもっと古い火山がマダガスカルにあります。それはレユニオンよりも25度以上南の南緯4 7度近辺にあるマリオン・ホットスポットMarion hot spotです。
 88Ma当時、この緯度にはマダガスカル南部アンドロイ火山volcan de L’Androyがあり、その爆発は大インドとマダガスカルの分裂をもたらし、その火山爆発の時代は600万年間続いたとされています(Storey et al., 1995)。
 アンドロイ火山は、マダガスカル全土図でさえはっきりわかる巨大なカルデラ地形で、東西75キロ、南北100キロ以上、南端にベレンティ(マダガスカル定番の観光地)があり、火口湖の出口となっています。今では侵蝕が進んでひたすら広大な平原としか見えませんが、ベレンティに流れるMandrare川はこの火口湖の中を経めぐっているわけです。
 これらインドとマダガスカルのふたつの巨大火山が、マダガスカルからインドまでのインド洋を縦断する巨大な火山列島の歴史のはじまりと終わりです。
 これらの火山群の年代と位置関係が分かったので、霊長類の起原問題にもあるていど正確な時空軸をもつことができます。

第一、中生代白亜紀後期(100〜65Ma)に南緯40度あたりを中心としていた大インド・マダガスカル連合大陸では、88Maにマダガスカル南部の南緯47度のマリオンホットスポット(Marion hot spot)で大規模なL’Androy火山爆発があった
 この爆発は、大インドとマダガスカル連合大陸が分裂する契機となり、南極とオーストラリアから分離して北上することになったとされる。この時代には、セーシェル群島をふくむマスカレーン海台(Macarene Plateau)が陸橋として大インドとマダガスカルをつないでいた(Storey et al., 1995)。


図1 88Ma での大インド・マダガスカル連合大陸


 南端をマリオン島の南緯47度において、大インド大陸の南端も一致させた。しかし、他の大陸の位置は現在(0Ma)である。図では大インドとマダガスカルの間を約100キロメートルあけているが、ここにセーシェル小大陸(マスカレーン海台)が入る。

第二、現在レユニオンのある南緯21度のレユニオンホットスポットで、70MaにSomnath火山の噴火、65Maに同じホットスポットで後にインドのデカン高原となる大規模な噴火があった
「デカン玄武岩(火山岩)の主たる噴出は非常に急速で、K-T境界65Maの百万年間に起こった。その時、西インドはレユニオンホットスポットの上にあった。それは現在マダガスカルの東に位置している。
 セーシェルの磁気化年代はデカン火成岩(玄武岩)と同じ時代で66Ma~64Maである。セーシェルとインドの分離とその後のインドの北上にともないホットスポットの痕跡が(火山とその噴出物の玄武岩として)ラカディヴ、モルディヴ、チャゴス列島、マスカレーン海台、そしてもっとも若い火山島モーリシャスとレユニヨンに作られた」(Chatterjee et al., 2013:Fig.3&253―254頁)。


図2 レユニオンホットスポットを軸にした65Ma のマダガスカルと大インドの位置


 マダガスカル(ピンクの切り抜き)の位置はYoshida and Hamano, 2015の図を変更して利用した。大インド(白い切り抜き)はムンバイの位置を丸で示して現在のレユニオンの緯度に置いている。このYoshida aらはおおざっぱに80Ma、60Maと2千万年間を単位に位置関係を描いているが、88Maと65Maこそが基準点となる。
 世界地図はどのように描いても、曲面を平面になおすので大きな誤差がでますが、これは地球儀上で、インド半島、スリランカ、チベット高原を切り抜いて、その切り抜きを地球儀上に置いたものですから、実態に即していると思います。もっとも、スリランカまで大インドに含めたので、南端がかなり長い印象になり、チベット高原の最高標高地域を全部含めているので、北方も大きな印象になっているかもしれません。しかし、地球儀の上に貼り付けると、こういう感じになります。写真の奥行きがあるので、チベット高原は小さく上のほうに見えています。
 これを、これまでの大インドの北上の図と比べると位置関係がよく分かる。


図3 大インドとマダガスカルの65Ma時点での位置図比較(左:Chatterjee et al., 2013)


 従来の作図では、大インドの大きさが地球儀の印象よりもはるかに小さくなっている。他の大陸との相対的な大きさは正確なのだろうが、インド洋上の位置関係は地球儀上のほうが正しいのではないか。また、この両陸地の間にセーシェル小大陸があったのだから、マスカレーン海台はデカン爆発まで陸橋だった可能性が大きい。

第三、分離速度と位置の想定
 デカン爆発以降、大インドの北上が加速され、それまで年間3〜4cmだった北上速度は65Ma以降50Maまでの間は年間20cmと5倍以上になったとされています(Chatterjee et al., 2013)。
 88Maの時点では、大インドとマダガスカルが連結していたと想定し、65Maの時点でセーシェルと大インドが分裂したと想定します。この2300万年間、間にセーシェル(マスカレーン海台)をはさんで、分離しつつあるマダガスカルと大インドは緯度にして約20度、年間3〜4cmの速度で北上します。
 その2300万年間、年間3〜4cmの速度で大インド・セーシェルがマダガスカルからまっすぐ東西にも離れたと想定すると、相互の距離は65Ma時点で690〜920キロとなります。その間をセーシェルがどのように埋めたのかが問題です。この想定では75Ma には大インドーマダガスカル間の距離は340〜460キロ程度で、この間にセーシェルが入ると、陸橋となったかどうか、なかなか悩ましい距離になります。むろん、東西には広がらず南北にいっしょに移動していったということになると、、相互の陸地間の距離は広がりません。
 65MaのKT境界まで、少なくとも70Maまでは、分離速度からいっても、大インドとマダガスカルがつながっていた可能性が大きいのではないかという想定が実態に近いと、私は考えています。それは、70Ma以前に起原をもっている霊長類とそのごく近縁の真主齧類がひとまとまりの遺伝的集団であり、その中の真主獣類がマダガスカルとアジアにいるという事実を説明できる唯一の仮説だからです。
 私の仮説は以下のとおりです。 大インドとマダガスカルがつながっていた100Maから65Maまでの間に真主齧類(真主獣類=霊長目、ツパイ目、皮翼目+グリレス類=ネズミ目とウサギ目)の祖先が、この連合大陸に誕生した。この連合大陸は、88Maに6百万年間続いたマリオンホットスポットでの連続的な爆発によって南極・オーストラリア大陸から分離した。
 大インド・マダガスカ連合大陸では、真主齧類が恐竜時代に分岐しはじめ、遅くとも70Maまでには現在の霊長類の祖先が生まれた。65Maでのデカン爆発によって、マダガスカルは大インドと最終的に分離した。これ以降もっとも古い系統の霊長類の原猿類がマダガスカルに残ったが、大インドでは霊長類の新しい分岐が始まり、アジア原猿類と真猿類が誕生した。65Ma以降真主齧類の祖先が恐竜絶滅後の空いた大インドのニッチを一気に補充して、ツパイ目などの真主獣類、ネズミ目などのグリレス類が誕生した。
 この仮説によって、真主齧類がひとまとまりの遺伝的集団として分類されること、マダガスカルに原猿類が、アジアとにその他の原猿類と真猿類が生息する理由を合理的に説明できるでしょう。
 アフリカへの霊長類の流入は、また別のさらにのちの時代の事件です。
 マダガスカルのレムール類の分岐年代とされる62〜65Ma(Yoder and Yong, 2004)に、アフリカ大陸に霊長類がいた可能性はありません。しかし、この論文のあとも、アフリカからマダガスカルに原猿類が移住したとする説はあとを絶ちません。その移住年代を52〜40Maに置くというのが、フランスのGodinot(2006)らですが、根拠がありません。これらのアフリカ主流説は、ダーウィン主義と同じようにヨーロッパ人の心に根づく先入観を示しているようです。

第四、大インドの広さについて


図4 現在のインドとマダガスカルに重ねた大インドの広がり


 地球儀上で大インドの広がりをインド半島に重ねて図示しました。マダガスカルも同様です。大インドの印象が大きいのは、チベット高原を大インドとして考えているからです。実際には大インドの北半はヒマラヤの下にもぐっているので、これを除くインド大陸はずいぶん小さい印象になるわけです。
 どれほどの大陸がヒマラヤとチベット高原の下に潜り込んでいるのかは、これから追々明らかにされるでしょうが、今回の見積もりがもしも、過大であったとしても、実態からそれほど離れてはいないのではないか、と思います。
 最後に、南アメリカの真猿類についてですが、中新世のゴンフォテリウム陸橋がユーラシアとアフリカ大陸をつなぐ以前にアフリカから南アメリカに霊長類が渡ったことは確かです。これは新生代の初期に、インドーアフリカー南アメリカに陸橋があったと想定しなくては説明できません。始新世から漸新世にかけてアフリカー南アメリカがどのようにつながっていたのかを説明する仮説は、将来の研究に待たなくてはなりません。

火山噴火の規模
 このアンドロイ火山volcan de L’Androyの直径100キロのクレーターは地球規模のもので、同程度の長径をもつのはスマトラのトバ湖です。この世界最大の火口湖は7万年前の大噴火で人類史にも影響し、その火山灰の総体積は2500〜3000㎦とされています(日本最大は9万年前の阿蘇山の噴火。火山灰量600㎦)。アンドロイ火山を噴火口とする88Maのマリオンホットスポット噴火も、トバクラスと考えられます。しかし、この位置での爆発が、規模は分かりませんが、600万年間もつづいたということは、トバクラスの噴出量を遙かに超えるものだったかもしれません。
 デカン爆発の規模は火口400キロとも見積もられ、その火山灰の量は百万㎦だったと推定されています(Chatterjee et al., 2013:253頁でふたつ引用文献あり)。つまり、トバ大噴火の300倍以上(阿蘇の1500倍以上)です。
 現在のマリオン島は南アフリカ領のプリンスエドワード諸島のひとつで、南極海の東経38度、南緯47度付近にあり、当時のマダガスカル南部がこの位置にあったことを示しています。この島はずっと死火山だと考えられてきたのですが、1980年代に噴火し、今もマリオンホットスポットが活動していることを示したのです。つまり、一億年近くも同じ位置で噴火をしていることを示しました。マダガスカル南方のマダガスカル南海嶺は、このマリオンホットスポットの活動あとなのでしょう。

シヴァ火球仮説について
 大インドの移動についての専門家Sankar Chatterjee(シャンカール・チャタジー:テキサス工科大学博物館)は、シヴァ火球Shiva bolide説を唱えていて、一部からはかなりうさんくさい研究者だと思われています。この“Gondwana Research”誌に掲載された論文そのものが、どれほど信頼性を持っているのかも、今後の課題です。
 シヴァ火球仮説はデカン噴火とほぼ同時期の天体衝突であり、ムンバイの沖合に500kmの衝突跡を残していると主張するもので、ユカタン半島のチクシュルーブ火口Chicxulub craterと同時期にインドでも大規模な天体衝突があり、デカン噴火と連動して恐竜絶滅にいたったという説です。


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