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【No.48 2019年9月】

「折々のことば」に―『ヒト、犬に会う』(講談社選書メチエ)出版記念会―

日本アイアイ・ファンド代表
島 泰三

9月13日に開かれた講談社本社26階会議場での『ヒト、犬に会う』出版記念会の報告と本書について、若干の雑感を。
まず最初に、この出版記念会にご出席くださった57名の皆様に心から感謝いたします。
8月になって「出版記念会」を思いつき、会場をお願いしたので、当然連絡すべき人々に通知さえ出さず、突然の連絡に驚かれた方も多いかと思います。ほんとうに失礼しました。
9月当初では「20人程度か」という甘い見積もりで、講談社への使用許可に始まり、入館許可証の発行から、軽食その他の準備など、すべて講談社学芸クリエイトの林辺社長に頼り、しかも日々どころか刻々変更してご迷惑をおかけすることになりました。これもひとえに、私のいたらなさのゆえんで幾重にもお詫びいたします。が、今後ともお世話になること確実で、あらかじめ落胆しつつ、ご了承お願いいたします。
今回出席者の最年少は小林玲貴さんで、彼女と島和香奈さん、市川晃さんの三名が未成年者でした。小林玲貴さんには、会場展示の中でも犬の写真展を最後まで手伝っていただき、島和香奈さんには最後の挨拶まで付き合ってもらいました。最長老は88歳の河田宏さんで、いつもアイアイ・ファンドの懇親会でお世話になる『名曲喫茶麦』の前マスターです。私たち当時の大学生たちが本郷三丁目にあったというだけの縁で河田さんに、どれほどのご迷惑をおかけしたかは量り知れません。
いろいろ考えると、今回ご出席いただいた方々は、すべて私がご迷惑をおかけしてきた人々ばかり、しかもその上お世話になった方々ばかりです。これほどの長い間、これほど迷惑をおかけしながら、おつきあいいただけているのは、身の幸運と思わずにはいられません。
出席者は、日本アイアイ・ファンドでマダガスカルにおつきあいいただいている方々が半数以上となりました。最長老の清水俊介さんに乾杯の音頭をとっていただき、ご夫人の雅子様に司会をお願いしました。ほんとうにたびたびすみません。アイアイ・ファンドの皆様には、受つけ、本の販売、会場展示、撮影とご協力をいただきながら、ご紹介もできず、ほんとうに失礼いたしました。


今回、特にひと言をお願いしたのは、以下の方々でした。

講談社から
林辺光慶さん(講談社学術クリエイト代表取締役)
リリーの主治医から
佐々木伸雄さん(東京大学名誉教授)高齢者こそ犬や猫などのパートナー動物が必要であると、力になる言葉を頂きました。
最初の本からの友人として
小広子さん(永和商事株式会社代表取締役社長)1997年の出版記念会以来、島の同窓生の仲間として支援してくださっているのですが、「同窓生を大切にしなさい」と諫言。すみません。忘れていたんです。
最近作『9つの森とシファカたち マダガスカルのサルに会いにいく』(福音館書店)の画家として
菊谷詩子さんには本の原画を持ってきていただき、見た人みんな感動していました。また、福音館からは今回の絵本の担当者北森さんに代わり、石田栄吾さん(「たくさんのふしぎ」編集長)が出席してくださいました。


【お仕事紹介】
アイアイ・ファンドの支援者には、自前での仕事がアイアイ・ファンドの活動とリンクしている方もあり、その方々の仕事を紹介していただきました。
販売しているコーヒーの説明
大森博さん(コーヒーノート店主)コーヒー完売!
マダガスカル旅行の説明
深川虎次郎さん(道祖神)予約しました!入金も!
帽子の製作受つけ
沼尻賢治さん(ザ・マッドハッター店主)最近作『ニセコの12カ月』(LUPICIA)をひっさげての登場。前『翼の王国』編集長で、今はニセコの帽子屋さん。予約も取れたようです。
グルテンフリーと腎臓移植体験から
駿河かおりさん(Orenge spoon代表)。彼女は2012年のマダガスカル現地視察に参加した平松みどりさんの長女で、千葉県で活躍している島の親族(姪の子で姪孫てっそん、大姪とも)です。大物になる、この人。

【ひと言の時間】
海上自衛隊司令長官から
保井信治さん(マダガスカル派遣練習艦隊司令官) 2001年アンタナナリヴでの練習艦隊歓迎会で出会った下関西高の同窓生という縁だけで、アイアイ・ファンドに支援を続けてくれた方で、当日の雰囲気はいかにも海軍司令官でした。今回の本についての過分な褒め言葉に、つい「下関者は話が大きい」と私は言ってしまった。だって、「ノーベル賞もの」とか言うんだもの。
西高同窓生から
吉川順一さん(株式会社ジャパンコンピューターサービス代表取締役会長) もっとも新しい友人で、この9月1日の大阪講演で知り合ったばかり。彼が起業した企業用コンピューターサービスの会社は千代田区に本社をもち、大阪事業所もあります。
房総自然博物館から
橋本豊さん。彼こそは私の人生でニホンザル調査の初めに出現して、以来40幾星霜、若干の消息を知っているだけで会ったことがなかった。だから、「その当時から師匠は」という話を遮って、「今までどうしていたんだ!?」と聞いたのだった。実に懐かしい再会だった。
『翼の王国』から
門前貴裕さん(編集長)と阿部雄介さん(フォトグラファー)言わずとしれた全日空機内誌の編集長と「エースカメラマン」が駆けつけてくれた。フォトグラファーは「来月もあります」と、困難を極める天然記念物取材は「そもそもあなたの発案」であると、老躯に鞭を打つのだった。
島泰三の動物学について
遠藤秀紀さん(東京大学総合研究博物館教授)これは、特に教授に依頼したもので、かつて彼は『親指はなぜ太いのか』(中公新書)を「不朽」とまで持ちあげてくれたのだが、このところ「マッドサイエンティスト」気味ではないか、というご批判でもあれば、とお願いした。「マッド」は「MADA」に通じる。そんなものである、と覚悟していたが、意外にも「信念の人」と評していただき「面白い、第二、第三の犬が来る」と予言までしていただいた。さて、どうなるか?
アイアイ・ファンドから
ラーラ桜さんは、島作詞・庄司龍作曲の歌を張りのある声で熱唱してくださった。心が震える思いだった。二番も紹介しておきます。

<シュバリエ賛歌のテーマ>
一番
行く手をさえぎる嵐も雨も こえて旅する われらの夢は
すべての命、ともに息づき すべての命、やすらかな森
はるかな道を、はるかな夢を 探し求めて、今日も旅ゆく。
探し求めて、今日ぞ旅立つ。
二番
炎に巻かれる 命よ森よ 無窮の時の 宝ものたち
奇跡の星に、かがやく森を 守りつづける、未来のひとよ
はるかな道を、はるかな夢を 探し求めて、今日も旅ゆく。
探し求めて、今日ぞ旅立つ

その作曲家庄司龍さんも「タヌキタヌキと呼ばれていますが」と挨拶。『時の箱舟第二』の完成間近とか。ぜひ、頑張ってほしい。
北川嘉明さんからは、大学生時代の動物園の話があった。私が「ゴリラはみんな精神病だ」と言ったとか。本人も忘れていた昔の話が出てくるのは、こういう所以外にはない。

親族から
多くの方々の挨拶を予定していたが、実に時間がたりず、この日参加していただいた親族に並んでもらって、甥の平野隆一さん(外務省)と長女の嫁ぎ先の玉井大八郎さん(平和不動産会長)に、ご挨拶をいただいた。
甥は父親が自衛隊だったので、当時住んでいた三沢に私が訪れたことを語り、「誰も考えつかないような面白い遊びを作った」とか、「あれは世界のサルの北限地、下北半島におじさんが行った時だったのでしょう」などと懐古し、その後の著作、ついでに彼の姉が今回の本の表紙絵を描いたことも紹介してくれた。この家系には、いろいろ特別才能者が現れる。
玉井さんからは「今後とも島泰三とアイアイ・ファンドをよろしく」とありがたいお言葉をいただいた。恐縮の至りとはこのことでした。
島泰三から このような皆さんの言葉に励まされて、本来は感謝の言葉も多々言うべきところ、最後の挨拶でまたとんでもないことを言い出した。
「おらは、滝沢馬琴になりたい」と。
なんらかの腹案を持っているはずもなく、単に目が悪くなってきたので、馬琴が盲目になっても『八犬伝』を書き続けたことに触発されただけのことでしょう。しかも、「今しばらく迷惑をかける」とも言っていましたね。これは、またよほどの事かもしれませんが、「いい加減にしたほうがいい」との声も。

【差し入れ】
山形県米澤市の吉澤匠様からすばらしい日本酒が講談社に届けられました。みなみな美酒に酔ったはずです。山形出身のタヌキは飲んだかしら?

【会場について】
今回、出版記念会を講談社本社26階最上階の宴会場で開いたのですが、これはまったく予想もしなかった展開でした。
この本の刊行のために、なんどか講談社に行き、その図書室の凄さ(大正年間創刊の『少年倶楽部』ほかあり)と玄関正面の屋内植物園とともに3階のカフェテラスの明るさに驚いたのです。それで、このカフェならパーティー会場としても使えるのではないか、と林辺さんに相談したところ、「そういう会場は26階にあります」とのことだった。それがどんなところかも考えず、3階であれほど広々しているのだから、26階はもっと広い視界だろうと適当に考え、会場を抑えてほしいとお願いしたのですが、それは林辺さんにとっては実にご迷惑なアイデアだったと思います。さまざまな社内手続きの渦をこえて、ようやく会場が確保されたと聞いています。ほんとうに、すみませんでした。
この会場には直前に下見に行ってびっくり。最大400人が収容可能で、労組大会とか、受賞記念パーティーとかに使われる眺望絶佳の宴会場でした。これを見て、「この会場が埋まるほどの人が集まるわけないじゃないか」と考えないのが、マッドなところで、頭にあったのは、日頃お世話になっているアイアイ・ファンドの皆さんに、講談社本社とはこんなところ、と見せたいと思うばかりでした。また会場が決まり、その眺望が分かってから、「これだけ夜景がきれいなら、見に来るだけでも価値がある」と、連絡を加速させるようなことでした。
この会場のよさについては、当日出席されたみなさんが満足されたようで、和香奈さんは夜景をスマホで撮って、しかも編集して眼下を走る高速道路の光の渦をパパに見せていました。


【『9つの森とシファカたち』原画のこと】
菊谷さんにムリを言って持ってきていただいたのですが、この凄さ!ぜひ博物館か美術館で原画展をやりたいと、また思った次第です。

【『犬写真展』のこと】
なかには見なかった人もいるかと思いますが、会場には本の中で使った写真やリリー回顧の写真、世界の犬たちの写真を展示していました。


【『ヒト、犬に会う 言葉と論理の始原へ』について】
この本の骨格は、『ヒト―異端のサルの一億年』(中公新書)の一部として書いていたものだったが、さすがに一億年を一冊の本で扱うのはムリなので、この犬部分は大幅にカットして、結論だけを中公新書に放りこんでおいた。そのため、この本を読んだ人は、理解不能に陥ったかもしれない。
その犬問題をとりだしてまとめようとすると、人々が読むだけで泣いてしまうようなものと、まっすぐに犬―人関係を解き明かそうとするものと、ふたつの道があった。前者は力不足。後者は、とりかかりだけはなんとかできそう、ということで、あちこちに「書くぞ、書くぞ」と書かない前から宣伝して、自分を追いつめて行った。遠藤さんが話された「研究室のデータを取り出してまとめた」というのは、このあたりの事情で、今まで調べてこなかった犬関係の論文を大量に集められたのは、すべて遠藤研究室のシステムの優秀さのおかげだった。
また、オオカミについては、サルの野外調査を始めたころから、本や論文を集めていたこともあり、そのいくつかはまるで古い沈没船のように意識の底に沈んでいたもので、新しい知識に触発されて、ぽかり、ぽかりと浮き上がってきた。そのひとつが、ファーレイ・モーワットの『オオカミよ、なげくな』だった。デイビット・ミーチの大著『オオカミ』も同じ頃、入手していたが、印象の強さは明らかにモーワットだった。つまり、私にとっての犬への接近は1970年代後半、財団法人日本野生生物研究センター設立のドタバタの頃には始まっていた。しかし、それは実に長い間、40年以上も記憶の奧底に沈んだままになっていたのだった。
集中してこの本だけにとりかかったのは、2018年9月からだった。原稿のすべてを打ち出して、コピーをマダガスカルに持っていき、行き帰りの長い飛行機の旅の中で、読み、訂正し、注釈を入れ、構成を変えた。いよいよマダガスカルを離れるという空港ロビーの二階カフェで、滑走路と広い青空を見ながら、突然視界が明るくなるという経験をした。同時に、「これでまちがいない」という感覚も得た。
その感覚なしには、本を書くことを進められないが、その感覚を文章化することは、また膨大な時間と手間を要することだった。年末年始ではとうてい収まらず、一月は取材旅行を断って集中した。2月の釧路零下27度、翌翌週の青森零下4度という寒空の中での取材を終えて、ふたたび本の完成に集中し、3月末ついに書き上げた。
しかし、それを読んだ編集者は、結論部分に「ふくらみ」を要望した。削るのは難しい。伸ばすのはなんとかなる。しかし、ふくらませるのは、ことに難題である。だが、その要望の意味はよく分かっている。それは、結論部分への到達の仕方であり、最低三方向から結論に向けて焦点を絞ったので、あるところでそれ以上の接近を放棄した部分が残されていた。著者としては「ここまで接近路を絞ってきたのだから、結論は当然分かるはずだ」という気持ちである。怠慢とか奢りとか、あるいは疲れとでも言うべきものだった。脳の力のある限りをふりしぼったのだから、これ以上はムリ、という感覚でもあった。
しかし、そこに残された問題があることも分かる。論理がどのように生まれるのか、その瞬間を自分が経験しなくてはならない。
そして、ある時、ズームレンズの中の風景のように焦点があってきた。それはぼんやりした視界に焦点が戻り、風景がはっきりと見えるようになる感覚、かつて石井太郎餌場の高梨じいさんが私のニコンの双眼鏡を覗いて言った「顕微鏡のようにはっきり」という感覚だった。この「焦点が合った」という感覚は、ますます悪くなる目の代替だったかもしれない。
また、それが「ふくらみ」だったのかもしれない。安心して世に送りだすことができる本が、一冊できあがった瞬間だった。
この本は予定より早く7月初めに刊行されたが、いろいろな書評が出るよりはるかに早く、朝日新聞の『折々のことば』で、一節が紹介された。それが鷲田清一氏であり、合理的な言葉の起源に触れた点で、この本の核心をついていた。驚くのは当然である。日本の哲学者にも、理解できる者がいたのか!と。


(2019年8月3日の朝日新聞朝刊「折々のことば」)

「折々のことば」と言えば、日本のおよそあらゆる生活場面や文章世界で使われた言葉を紹介する欄であり、天下の朝日新聞の顔とも言うべき朝刊第一面の色刷りコラムである。ここに一文が引用されるのは、文章を書いてきた者としては、「本望」とも言うべき栄誉である。で、奥様にそれを自慢した。
「すごいだろう。芭蕉の文章も引用されたコラムなんだよ」「ふ〜ん」
「何?その気のない返事は」「だって、そのレベルじゃないの?」
「ひえ!誰が」、「あなたが、よ。」
 「これはダメだ」と観念した。妻には芭蕉と泰三の区別がついていない。で、孫に言う。
「すごいだろう」「なんで?」
「だから、芭蕉が引用された場所で」「ジジ、またへんなダジャレを言おうとしてない?」この子の反撃には、いつも面食らう。「だってさあ、バショウとバショでしょ。そういうダジャレでしょ?」
 ついに祖父は怒る。
「控えよ!畏れ多くもかの松尾芭蕉なるぞ。いくらなんでも大学受験で日本史とか、日本語とかやってるんだから、それくらい覚えているだろう?」
いくら怒っても、孫は祖父を気の利いた犬くらいにしか思っていないから、まったく気にしない。
「松尾かどうか知らないけど、バショウは分かる。変な漢字だよね。古池だよ。」
「それだ!芭蕉といえば『古池や』の名句で日本人なら誰もが知っている俳人であり、日本文学の最高峰のひとりだ。その文が引用された芭蕉で、いや、バショで、わが文が引用されたというこの名誉をお前たちは理解できないのか!」「ムリムリ」
「え?」「だってさあ、弥生時代とか江戸時代の古い人だよ、その人。AKBと違って、ほとんどの人は知らない人だよ。そんな人と並んで、うれしい?」
孫は日本史で受験するというが、芭蕉についての時代認識そのものがおかしいし、古いかどうかもよく分からなくなってきたが、芭蕉の言葉とならぶことはうれしくない、わけではない。なんだか微妙になってしまった。そこで矛先を変える。
「私にとっては、この朝日新聞一面ということが重要なんだ。ちょうど50年前、ジイジの名前がそこに載ったから、半世紀ぶりということになる。」「なんで載ったの?」
「え!?」「だから、新聞一面に名前が載ったんでしょ、なんで?」
「まあ、ちょっとドジやって、警察につかまったから」「バカじゃん!」
日本史では、ぜひ戦後史も教えてほしいし、そのなかに安田講堂事件を含む全国学園闘争の時代をぜひ加えてもらいたいものだ。学生たちの叛乱が「バカじゃん!」のひと言でおしまいにしてほしくはない。ちょっと説明をした。
「ジイジたちが若かった時代、1960年代には東アジアでは戦争が渦巻いていた。それは第二次世界大戦から続く戦争で、ベトナムではアメリカが連日、非人道的な爆撃や民間人攻撃をしていたから、世界の若者たちは反戦運動を広げ、日本でもほとんどの大学でストライキが始まった。その天王山が東大安田講堂の攻防戦だった。ジイジはそこで捕まった。」「つまり、ベトナムの戦争に反対したので捕まったってこと?」
「いや、大学が罪もない学生をたくさん退学処分にしたので抗議して安田講堂を占拠していたから、不退去とかそのほかもろもろの罪状があったけどね。」「で、なんでジイジだけが新聞に名前が載ったの?偉かったの?」
「いや、主立った人々の最後に」「じゃあ、子分みたいなもの?」
「ていうか、まあ『最後までがんばりましたね』って感じかなあ」「あのさ、私だからいいけど、みんなには言わないほうがいいと思うよ、50年ぶりに朝日新聞朝刊の一面だとか。50年前から危ない人だって分かっていたって感じで受け取る人が多いと思う」
シュン。
「いや、ちょっと待て。ここにはジイジの本の一部が、大学受験で使われたという連絡がある。どうだ、これには驚いただろう?」「どこの大学?」
「北海道の大学」「ミーは東京の大学を受験するんだよ。関係ないじゃん」
これはほんとうで『孫の力』の一節が、ある大学の2018年度の試験に使われたのだった。しかし、それでも孫の確信はびくともしない。なにしろ、祖父が大妻女子大の助教授職をなげうつという理解不能のことをしたと知った時、「ジジさあ、大妻女子大ってすごいレベルなんだよ。これからそういうお誘いがあったら、断るんじゃないよ」ときつく叱ったのが、中学生の時である。今や大人の階段を上りつつある高三である。ちっとやそっとでは、ジイジへの尊敬心は生まれない。
この会話は8月初めのことで、出版記念会へのお誘いをはじめていたころだった。
「2019年9月13日金曜日(仏滅)午後5時より7時まで:講談社本社26階会議室で「出版記念会」(司会:清水雅子様)を開きます。皆さま、お誘いあわせでお出かけください」と。あ、孫は来るかな?
「来る?」「行かない。高三だよ、そんな閑ないよ。あ、塾の時間だ。行かなくちゃ。よっしょ、う!重っ!」
5教科全部の教科書参考書にノートを詰めたリュックをかついで、でかけました。今日は35℃。元気なもんだ。
ともあれ、8月おわりには本の書評などが出るようになった。
雑誌『公研』では、編集者が丁寧な紹介をしてくれて、「東南アジアの内陸をほっつき歩きたくなった」という手紙をくれた。犬の起源地を歩いてみたくなったというのは、褒め言葉だと勝手に解釈して、広告代なしで宣伝してくれた。ひたすらありがたい。


そこへ東京新聞を読んでいた妻が「いい知らせ」と書評欄を示す。
東京新聞の書評欄の4分の1にあたる大きな書評が、それもカラー表紙入りで掲載されている。評者は『愛犬王平岩米吉伝』(小学館)などで知られる犬の本を書いている片野ゆか氏(ノンフィクション作家)である。きれいな書評にまとめあげてくれた。


彼女がこの本を読んで、「当初は犬好きの極論」と思ったというのは、実感であろう。多くの人は、私が猿好きだとか、ゴリラ好き(これは本当)という側面から評価するのだが、好き嫌いは大した問題ではない。私が追求したいのは、その先なのだ。
『翼の王国』の編集長、門前さんは出版記念に来てくれて、「パンダの取材なのに猿で停まって、『猿好きはどうしようもないなあ』と思ったけれど、ある映画でゴリラの森に消えてゆく主人公アンソニー・パーキンスを見て、島さんに重なり、それ以来はそういうものかと納得しています」と言ってくれたが、その消えていった先が問題なのだ。
「予想外の説得力にひきこまれた」という文には「にやり」としたね。人は自分の想定した範囲での文章作りに精だしている。そうでないと、どこに行くのか分からない文章になるからだ。しかし、ひとつの発想を形にするためには、ごく面倒くさい無数の事実群を突きぬける作業が必要になる。そこでもっとも重要なのは、その事実群が、自分の想定をこえるほどに集積されることである。その時、書いている自分自身が思ってもみなかった地平が開けることがある。それが、このような本を書くときの醍醐味である。
その「宝蔵自ずから開けて」という瞬間は、さまざまな形をとる。『親指はなぜ太いのか』では、その瞬間は長いマダガスカルの車の旅の途中での覚醒だった。「逆だ!」という感覚である。人はアイアイの指を奇妙だと思うが、アイアイからみれば、人の手指のほうが奇妙だ。その視点から人を見ればよい、という覚醒だった。
『はだかの起源』では、「実に屈曲のある大河に棹さしてきた」とあとがきで書いたとおり、事実の外枠を固めようとして作業を続けていると、今まで流れてきたとは反対方向へ流され、さらに一回転、二回転と論理の渦に巻きこまれた。最後にダーウィン主義への完全な訣別に至る論理の大河は、実に思ってもみないことばかりだった。その激流をなんとか乗りきったと自分で思えるのは、はだかの皮膚という人間の特徴の異常さを「異常」として感じる正常な感覚だったと考えている。
これらの世上にもある程度評価された本に比べると、『サルの社会とヒトの社会』(大修館書店)と『ヒトー異端のサルの一億年』(中公新書)は、世間的にはほとんど無視された悲しい本である。
前者は私として直立二足歩行、裸、そしてヒトの特殊な社会というホモ・サピエンス理解のための三部作として構成している。ヒトの社会には、階級制をもったシロアリやアリやハチのような社会に似通ったところがあることが、その発想の原点であり、サルたちが子殺しはしてもヒトのようなわが子殺しはしないことの意味を問ったものだったが、世の中は平然と無視をした。
後者は、類人猿としての人類のそれぞれの歴史的段階でのそれぞれの種のニッチの解明によってその生存方法の特異性を明らかにしてきた、つもりだった。だが、霊長類の起源から日本人の現代にまでいたるその時間のあまりの長さと出現する類人猿の種数の多さに、誰もが辟易したらしく、まともな書評は見られなかった。
今回の『ヒト、犬に会う』は、そういう意味では、焦点が絞られていたし、よき評者に恵まれた。きわめつけは、池澤夏樹氏だった。彼の書評を教えてくれたのは、下関にすむ小田逸子さん(西高後輩、元西高教師)だった。知りあいの校長から連絡があった、と。あわてて図書館に行き、閉館ぎりぎりでコピーを取る。
彼は『親指はなぜ太いのか』(中公新書)を「名著」と評した人である。小黒一三さんは「池澤さんが興奮していますよ」と彼の書評が『週刊文春』に載っていると連絡してくれたほどだった。今回も、池澤夏樹氏の視点はやさしい。


「知的な快感」と言う。本を読むのは、実にそこにある。自分の中に生まれる別世界こそ、本を読む醍醐味ではないか。それを感じてもらえたとしたら、書き手としては満足である。「詳細な報告」とある。冒頭のイノシシ狩りは、フィールドワークのようなものだから、フィールドノートがある。詳細なのは、わが記録の常である。
「碩学」と呼ばれた。道元なら「絶学無為」と言うところであろうか。このところ、人が悪くなっているので、1970年代に読んだ本まで動員して、知識の幅をひけらかしているところがあるかもしれない。しかし、池澤夏樹氏ほどの人は騙されないだろうから、まあ、甘んじて、好評と思うことにしよう。面白いのは、マダガスカルでの保護活動まで紹介してくれたことで、この書評欄の中央にデンとおかれた文章で、本以外の著者の活動まで紹介しているのは、さすがに小説家の自由さである。
併せてありがたかった。
本は書き手だけでは完結しない。読み手がいて、相互に得るところがあって、初めて成り立つ。その意味で、読み手を得た今回の本は、書き手にとってもほんとうに幸せな本だった。


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