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【no.44 平成30年8月】

「2018年夏 じいじと17歳になった愛ちゃんのマダガスカル」

日本アイアイ・ファンド代表
島 泰三

アイアイファンドの皆さま、ならびに勝手に連絡している友人の皆さま
 今晩からマダガスカルに行ってきます。8月1日には帰国しますので、短い旅行になります。
が、今回はわが人生の中でも最大級のイベントです。
「そんなのばっかりじゃん」と、これまでの私の行動から勝手に評価してはいけません。「どうせ、ジャイアントアイアイ捜索とか、そんなあたりだろう」と思われる方もいるかもしれません。
 しかし、そんなことではないのです。なんと!17歳になった『孫の力』(拙著、2010年刊行、中公新書)の「愛ちゃん」が「マダガスカル行く。ジジの仕事しているところまで行く」と言い出したのです!!なので、急きょ彼女の夏休みに合わせて、アンジアマンギラーナまでの長旅です。
 愛ちゃんのママとかバアバとか、島の旧友とか、いろいろいっしょです。
 今年は正月からたいへんでした。
 愛南町へスマという養殖魚の新種の宣伝取材に行き、ついでに現地の旧日大行動隊長とともにイノシシを殺して、解体し、食べるところまでやったのが、皮切りでした。シンガポールに続く海外取材もう一か所(というか、二か所が続き)、月一の動物園取材のほかに、深夜の北陸、真夜中の琵琶湖北岸、東北の沼、北海道の雪渓、知床の真夜中、奄美の真夜中と海岸の旅、有明海から伊万里湾の散策と続き、マダガスカルから戻ると、すぐにまた中国地方の川が待っています。こうしてみると、夜中が多いなあ。アイアイだけで夜の調査は十分なんだけど。
 このあとも、いろいろ現地取材があります。さらに、某&某出版社からの依頼で犬の本、現代人の本、そしてマダガスカルのシファカの絵本が続きます。ひたすら、ひたすら原稿を書いています。
 そうそう、ご報告が遅れましたが、緑化機構から今年の植林事業への助成が決まりました。決まる前から、アジャさんに頼んで、苗畑と植林地整備は始めていたのですが、とにかく少しだけ息がつけそうです。
 今回のマダガスカル行きでは、植林事業のほか、児童養護センターも訪問します。愛ちゃんたちは「大縄跳びとかもって行こう」と張り切っています。
 どんな子になるんだろう?

日本アイアイファンド 代表 島 泰三 2018年7月17日




【マダガスカル報告2018年】
アイアイファンドの皆さま、友人の皆さま

 明日、現地アンジアマンギラーナへ出発です。マダガスカル到着以来、すでに三日、もろもろの問題が起こり、実にハラハラしましたが、「辛い時が楽しい時」という明石家さんまの名言を思い出し、なんとか問題をクリアしました。
 今回は、現地にいるIさんと、アジャさん、ブルノーさんに助けられ、手配がすべて完了しました。飛行機の手配や車の手配、ホテルの予約、食料の調達、植樹の準備、児童センターへの贈り物の支度などなど、数多いうえに、ちょっと体調を崩した者もいて、病院に行くなどもありましたが、とにかく!とにかく出発できます。
 当地はただいま、真冬。日中気温が20度まであがりません。当然、夜は寒いのですが、まずまず快適です。今年は果物のなりがよかったということで、アボカドは50キロ、ザクロは50個も収穫できたとララは喜んでいました。ザクロはたったひとつ取り残しがあり、皆でおいしくいただきました。近藤さんは「こんな大きなザクロは見たことがない」と驚いていました。


ヨタカ

 フクロウはいませんが、ヨタカが寝ていて、愛ちゃんたちはとても喜んで、写真などとっています。が、ジジが運転手や使用人などに命令形で話しているらしいのが、気に障るらしく「この平等の世の中におかしくない?」と愛ちゃんはジジ批判。車に乗っていると、すれちがったタクシーベ(小型バス)の運転手から手を振られて、はにかんでいました。彼女にとって、空港で出会った子どもの乞食の悲しい目は、たいへんなカルチャーショックだったようです。
 乾期の真ん中ですが、アンタナナリヴはちょっと雨模様。夕方から雨です。また、気温が下がるかな。

 島 泰三




アイアイファンドの皆さま、また友人の皆さまへ
 7月26日、無事にマジュンガからアンタナナリヴに戻ってきました。タナは今、・・・あれ?下でドスドスの音は、愛ちゃんの縄跳びのようです。
朝起きた時は、「今日から真剣に勉強しようかな?」と言っていましたが、朝食が終わるとモルモットの相手。庭のハンモックに乗ろうとしているので「ジジのものだから乗るな」と言うと、「やだ」と飛び乗ってひっくりかえり、私に映像を撮られたのですが、「髪がひどいから撮らないで」とか言っておりました。
 こうなるまでに、どんなことがあったかを細かく書くとたいへんなことになるので、日程だけを簡単に。
 7月19日、中継点のモーリシャスからアンタナナリヴに到着。夕刻遅く、渋滞のなか、五人全員へとへとでスアビナのブルンドル(フクロウ)宿へ。
 7月20日、午前中はフェリックス、アジャさんと打ち合わせ。愛ちゃんママを病院へ、薬屋へ。午後アジャさんとプロジェクトの進行状況と今回の日程確認。ここで、マジュンガへ行く飛行機の予約はしても、全員分の費用は支払っていないことに気づき、急きょエアマダへ。渋滞で閉店に間に合わず。ただ疲れただけ。
 7月21日、アナラケリのエアマダ事務所開店を待って、支払いをすませ、出発準備。
 7月22日、1220発。1325マジュンガ着。エアマダ単独ではなく共同運航便なので、時間にも正確。機体はボンバル。アジャさんの出迎え。昼食は海岸で魚料理。夕刻、水平線に落ちる夕日が美しいシルクル・ルージュの崖へ。
 7月23日、本番。午前3時40分全員起床、4時マジュンガ発。アンブンドルマミでアンタナナリヴから来た2台の車と合流。ここから乗り換えて、アンジアマンギラーナへ。と思ったら、車のエンジンが始動しない。1時間後、ボスコー・アジャで修理し、出発。
 アンジアマンギラーナ着14時ちょうど。
 マナサムディの第10番標識へ。植林地視察(写真のとおり、光方式の拡大によってこれほどしっかり、植栽した木々が立派にそだっています。しかもここはデモ用の比較的狭い範囲にすぎず、本体は草むらの中ですが、崖までしっかり植林ができていて、木々のまわりの草が刈ってありました。)。帰りにクラニの畑へ。苗畑視察のあと、バナナを取ると切り倒す愛ちゃんとママ。アンツイヒ泊。


 7月24日、午前5時出発。正午すぎにアンカラファンチカ4キロ手前の予約したバンガローへ。新築できれいだが、水がでない。これはダメと宿泊はあきらめて、レムール探しガイドを頼み1時間回るも成果なし。
一路マジュンガへ。夕暮れ時に間に合った。
 7月25日、ラックサクレへ。ちょうど、祈りの最中で、多くの人が願い事にきていた。その近くでシファカの群れにあって、愛ちゃんたち超喜。エサをやる、触る、やりほうだい。
土産物を買うと市場へ。アンタナナリヴにはバニラがない。夜道の海岸通りで、マジュンガ交差点のバオバブの電飾にびっくり
 7月26日、午前中シファカに再度会いにいく。帰り道、カシューを売っていたので、私は愛ちゃんにカシューの中身を見せようと、果肉つきのカシュー果実を思い切り噛んだ。バカである。猛烈な渋みというか、しびれ。カシューの種子をくるむ果肉にあるアミグダリンは青酸配糖体で、体内で青酸化合物となる。しばらく水を含んでは吐き出した。唇の皮が剥がれて全快するまでに4日かかった。
 飛行機は午後2時20分定刻にマジュンガを飛び立ち、午後3時25分定刻に到着したが、デジに頼んだ車二台がついていない。この時、バアバ連がまたデジの手配の悪さをあれこれ批判する。すると愛ちゃんの一喝。「悪口ばっかりいうんじゃないよ。」ジジは思わず「いいやつだなあ、お前は」と言ってしまった。
超渋滞の中、ようやくやってきたタクシーは猛烈なスピードで市内を走り抜けた。さまざまな手違いは人生の常である。それに不満を持つだけではなく、しっかり対処することが重要だと、私はいつも思っている。愛ちゃんはそれが分かる「いいやつ!」。
 7月27日、明日はいよいよアンバトランピの児童センターへ。Iさんが支援している警察関係者の孤児たちの家です。愛ちゃんたちは80人分の飴玉を用意しました。


2018年8月22日
アイアイファンドの皆さま 友人の皆さま

 報告をしなくては、と思っていたのですが、帰国してすぐにオオサンショウウオ取材で島根県邑南町へ行き(8月4〜6日)、「大したこともないだろう」と思っていたオオサンショウウオに衝撃を受け、そのショックのまとまりもつかないので、マダガスカル報告が文章になりませんでした。
 まずはマダガスカルの写真を整理し、必要な修正も加え、コメントもいれてようやく完成しました。映像は、愛ちゃんが自分で撮ったアイフォンの写真を組み入れて編集するという正木ディレクターの方針で、ただいま編集中です。
 さて、マジュンガから空路アンタナナリヴに戻った7月26日、定刻午後3時にイヴァト空港に到着したにもかかわらず、デジ差し回しのタクシー二台が遅れた件は、報告ずみですが、そのタクシー運転手二人は「タナのタクシードライバーの名誉にかけて」と帰路を急ぎ、近藤さんによれば、「マジュンガの悪路も怖かったけれど、このタクシーには最高の怖い思いをした」とのこと。空港到着が遅れたのは渋滞のせいで、自分たちの腕前のせいではないということを、彼らは示したかったのだと、私は思います。
 7月27日、陸路をとって戻ってくる車を待って、一同家で過ごしました。暖炉の火をつけるとか、バナナを早く熟させるために穴を掘って、火を入れて埋めるとか、マダガスカル風日常生活を愛ちゃんに体験させたのですが、なにより三毛のモルモットがお気に入りでした。カルチャーショックをやわらげるためには、ペットは絶対の強みを持っていることを改めて痛感しました。
 7月28日、アンタナナリ南方60キロにあるアンバトランピへ。Iさんの支援する児童養護センターへ向かいました。途中、エンジントラブルで橋の上で立ち往生。別に好きでやっているわけではないのですが、問題がおこるのはマダガスカルならでは、です。
 アンバトランピは高原の農村で、かつてフランス・マダガスカル混血のミレイユおばさんとその息子ヨハンが70ヘクタール超というテオドール大農場に住んでいたのですが、とある事件にあってマダガスカルを脱出しなくてはならなくなり、今では廃墟になっている思い出の場所があります(小説のような詳細はいずれ)。
 そこに警察関係者で、孤児になった子どもたちを5歳から18歳まで引き取って育てている施設があります。先に到着していたIさんはさっそく敷地内を案内してくださり、施設長が子どもたち全員を集めて、サッカーボールなどの贈呈式となりました。私たちは日本からもってきた飴玉とマダガスカル製サッカーボールを3個、縄跳びの縄そしてフリスビーを贈りました。年上の女の子たちが飴玉を皆に分け、男の子たちはさっそくサッカーに興じていました。
 帰り道、道端にウサギが売られていましたが、食用と聞くと愛ちゃんたちは悲しそうでした。でも、人間は可愛いかどうかより、食べ物になるかどうかで動物たちを評価するものです。ジイジとしては「それも教えておかなくては」と思って、きれいごとは言いません。
 7月29日、早朝6時、愛ちゃんの具合が悪いと起こされ、一瞬蒼ざめましたが、「薬を飲ませれば大丈夫」ということで、ひと安心。「最後の最後まで気を抜けないぞ」ともう一度気を引き締めるジジ。
 この日は、大渋滞の中、レムールパークへ半日観光のあと、ララの家を訪問。ニワトリを飼っているのは知っていましたが、ブタまで、それも120キロもある大きなものを飼っていたのには驚かされ、愛ちゃんにとってはむろん、私にも超絶の体験でした。ララは「ブタを飼って、どうするの?」という質問に、上手に「子どもを産ませるの」と答え、食用をぼかしました。
 デジの工夫した炉と煙突は実に巧みなもので、「発明の才能があるなあ」と感心。
 帰り道、「今日がいちばんおもしろかった」と愛ちゃん。ララの孫はふたりで、障害のある4歳の男の子と利発そうな2歳の男の子ですが、ララはほんとうによくやっています。愛ちゃんは「その全体がおもしろかった」のだそうです。
 7月30日、マダガスカル最後の日、しかも怒涛のような一日。
 ざっと言えば、午前10時、日本大使館(大使公邸のチョウチョウの件は資料参照)、正午、アンタナナリヴ中心地のアクサ・テニスクラブでアジャさんと打ち合わせ、午後2時「LaVarangueラ・ヴァラング」(クレオール風ヴェランダの意味)で昼食。午後3時、チンバザザ動植物公園でカンムリキツネザルと遊ぶ。愛ちゃんたち狂喜。「もう一時間でもいられた」とのこと。
 もともと、カンムリキツネザルはおとなしいというより優しいサルで、乾燥地帯の少ない水場では、ほかの群れが飲むのをじっと待っています。しかも、完熟果実食者なので、歯を立ててがりがりとやるのではなく、舐めてとる食べ方だから、かみつかれる心配がありません。見ているジイジも安心。
 この日、愛ちゃんは「フンの掃除とかしないで、餌だけやるサルの飼育係になりたい」とか好き放題を言う。そして「まだ、帰りたくない」とも。


チンバザザ動植物公園のラミー(1998年12月に発芽したもの)

 7月31日、午後4時50分発の飛行機のために午前10時半(!)出発。タナ郊外の渋滞の名所アンブヒバオ四つ角の手前、アンジャヌメナのアメリカ大使館前でふたたびエンジントラブル。蒼ざめるジイジ。しかし、修理に時間がかからなかったので、空港への道ぞいにあるティナの家に行きました。ここは古い知りあいの宝石屋で、私はマダガスカル中産階級の典型的な家を愛ちゃんに見せたかったのです。
 アンタナナリヴの世界への玄関口イヴァト国際空港は、末期症状。空港カウンターで待ち始めてから、チケット、イミグレ、手荷物検査と通りぬけると3時間!待合室でお茶どころか、そのまま機内へ。
 中継点のドバイでは、エアバスA380という二階建て超巨体の客の大集団をバスで移動させるという「ドバイもなんだかなあ」という状態で、しかも、バスはエンジントラブルで止まり、気温39度のところへ冷房も効かず、何のアナウンスもありません。
「オーマイガッ」の声と人の倒れる音で振りかえると、白人女性が熱中症で倒れていました。乗客同士で助け合い、オレンジジュースなど飲ませてなんとか意識を取りもどしたのですが、運転手との連絡がとれず、乗客がガラスを叩き、ようやくバスの扉が開きました。しかし、ヨーロッパ人たちは何も動かないので、私が動くしかありませんでした。
 愛ちゃんは「ジイジ、危ないからやめて」というのですが、「誰かひとり、外に出て緊急を伝えろ」とまず乗客に向かって叫んでも誰もうごかないので、私が足を一歩踏み出し、扉が閉まらないようにして、駆けつけている係官らに「なぜ止っているのか、換えのバスを出せ、救急車を呼べ」と言いました。「第一、ドライバーはどこだ?」と怒鳴って、ようやくそこにいたひとりがドライバーで「すでに手配は済ませた」と言うのですが、客全体へのアナウンスは、私が伝えるしかないという有様でした。
 ドバイもその能力に限りが見えてきたとつくづく思いました。
 ドバイからの10時間、愛ちゃんはすっかりくつろいで私とバアバにもたれかかってよく眠り、羽田に着いた時には「ああ、あと10日間はいたかったなあ」と笑顔でした。


資料:大使公邸の蝶についての阿部さんの返事

追記 植林の展望について
 今回の愛ちゃんを連れてのマダガスカル行きは、いろいろ学ぶことが多かったのですが、あまりにも多くのことがあったので、二点に絞って追記しておきます。
 第一、植林地の将来に展望が見えたこと。
赤松方式のラミーの苗育成は、光方式の植樹によって活着率98%という驚異的な苗の生存が確認でき、しかもそれらが乾燥期のただ中で大きくなっているので、植林地そのものに火が入らないかぎり、木々が生長することが分かりました。
 このこと(乾燥地での樹木の生長)は、2010年以前に植樹されたアカシアが大きくなっていること、アンジアマンギラーナ調査基地(現地名タナンバザー)の敷地の木々がもはやヤブとは言えない大きさに育ったことでもあきらかです。
 苗の生産は、果樹への関心の高まりによって、地元産業(ちょっと大げさに言えば)として根づき始めました。アジャとクラニはすでに商品生産を始めており(なんでもここの苗をアンタナナリヴで売っているとか)、今年はマジュンガからカシューナッツの苗をもってきて生産しようとしています。カシューは現地でもずいぶん高価なものなので、アンジアマンギラーナのような幹線国道の主要停車地では、よい商売になるはずです(「商売下手」のマダガスカル人に「商売感覚ゼロ」の私が言うのは、まったく的外れでしょうが)。
 これに、アンタナナリヴでの1998年もの(14本)と2010年もの(約70本)のラミーが成長して種子生産ができるようになれば、固有種の生産体制が完成します(バオバブは種子撒布だけでも芽吹くことが分かりました)。
 第二、植林地の防御策にアイデアがあります。
 植林地を守ることは、自然林を守るよりも困難でした。しかし、柵を作り始めて、人々の植林地への対応が変わりました。あきらかに所有者への一定の配慮が見られるようになったのです。これには、2015年以来毎年二基づつ作ってきた緑化機構指定の鉄板製の看板の威力があるのだと思います。この看板と柵が、この植林地を守っている、という実感があります。
 しかし、これまで作ってきた柵は、この地域での廃物利用という感じもあり、ヤシも竹もすぐに腐ってしまいました。そこで、今年からは丸太を購入することにしました。しかし、これは相当な資金が必要です。
 その資金を捻出するには、自前の丸太を使えばいいのです。なんと、植林したアカシアとアンジアマンギラーナ基地の林の木が丸太に使えます。たしかに、基地は建設以来すでに20年たっているのですから、ラミーの20年ものと同じことです。ヤブだとばかり思っていたのですが、今回改めてみると、たしかにもうすぐ森です。これを使わない手はありません。
 むろん、延長2キロになる柵を作るには、自前の丸太だけでは足りませんから、購入する必要はありますが、いったん大きくなった木は、年々新しい枝を出すので、これからは自前の木々が柵用丸太として使えるでしょう。
 もうひとつは竹ですが、レムールパークで竹を丸ごと柵に使っていました。こうすると、竹の強さが使えます。これまでのように、四つに割って使うのではなく、柵の支柱の丸太の上にまるごとの竹を乗せる方法がよいと思いました。


レムールパークで丸ごと使われていた竹の柵です。

 まるごとだと、竹はずいぶんと耐久性があります。さらに、竹を栽培しようと現地に連絡しました。柵の素材を自前で供給することは、植林地の保護に決定的です。
 もうひとつ。マナサムディ山地は海岸部族のサカラバと内陸のツミヘティの境界にありますが、サカラバ族は樹木に聖なるものを感じる部族なので、一定の大きさに達した木に徴(赤白の布など)をつけ、植林地の性格を明らかにすることもひとつの考え方です。
 保護区にはすでにコンクリート製の境界標識がありますが、さらに境界線に沿って石碑を並べる方法もあると思います。今年の植林の記念に、石碑の建造を依頼していますが、これを寄付の一法法として植林地を守ることができれば、と考えています。

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